新宿・西新宿 / 不動産 GM不動産

新宿 西新宿、不動産

西新宿不動産会社社長の不動産日誌

2018年1月5日12時27分25秒 入来院の件

マンション情報2018年新春特大号 あけましておめでとうございます。本年も宜しくお願いいたします。皆様におかれましても健勝の事と存じます。今年は10年ぶりに北海道へ帰省しました。妹からも母親が後1年も持たないとの再三の連絡を受けて不安ではありましたがパーキンソン病と言う難病を押しての事で大丈夫かなという思いも強くありましたが、今生の別れかと思うと無理をしてでも行くという結論に達しました。せっかくなので同級生やら昔の遊び友達にも会うことにして30日夜出発してその日の21:30頃田舎の幼なじみにすすき野で会うことにし、すすき野のカプセルホテルに宿泊、翌31日午後から高速バスに乗り16:10に実家に到着し、1日に母親の見舞いに行き、2日の夜には帰るという強行スケジュールでしたが何とか無事乗り切りました。パーキンソン病は体温調整がしづらかったり疲れやすかったりと言う症状が出る病気なので真冬の北海道の気候に体がついて行くか自信がありませんでしたが、何とか休み休み行き無事に戻れた次第です。話は変わって東氏の話ですが、先の美濃守護代斎藤妙椿に使えていた西美濃3人衆の内の稲葉良通(一徹)と氏家直元(朴全)にもと家臣として使えてた人がいたようです。 その後新たに美濃の領主になった織田信長の直轄軍として転戦するとあります。ところで家系図の話ですが、あくまでもきっかけは豊臣秀吉の家臣宛の手紙が一般人の家から発見されたと言うYAHOOニュースをきっかけに中学生時代に何気なく見た家系図を親戚に尋ね回り、父親の長男の次女に所にある事がわかり、送って頂いた物をキンコーズで複写し1ヶ月余り夜中の3時起きで研究してきた物でしたが、ふとある事に気づきました。と言うのは、元々親戚の叔父さんの家で見せて貰った入来村史と言う書物があり、それによると結局の所我が先祖のルーツは、昭和五年三月二十日、鹿児島県入来村村役場内入来村史編纂会発行の入来村史によれば、先は肥後國求痲の城主相良氏の庶流なり。とある。 大職冠藤原鎌足十五代の孫下野顯周頼、遠州相良荘を領して相良を氏とす。七代の後胤、相良三郎長頼の六男、稲留五郎頼貞三代の孫、稲留彦右衛門尉即ち長經なり。入来院定心就封の時、長經を以って家老となす。これより入来院家の家臣となる長径種田の宇都邑を領す、依りて種田を氏とす。抑も種田氏は先代長經より代々入来院家の家老として、領主家に忠節浅からざりしと云う。とあり二十九代にわたって家老職を務めてきたことが代々の殿様の名前と共に代々の家老職の名前も書かれていました。この入来院と言う殿様は鹿児島の地元のでは有名だが島津家の軍門に降ったせいか日本国内ではそれ程知名度が無く歴史の教科書でも取り上げられることはほとんどありませんが、アメリカのイエール大学の教授が中性のヨーロッパ封建社会と日本の封建社会の比較の論文を発表していて海外では島津家より有名らしいのです。いろいろ調べて行く内に暗唱に乗り上げました。と言うのは入来院の家系というのは桓武天皇を祖として平氏として代々続く家系で鎌倉幕府の源頼朝に仕え戦功を上げ、今の渋谷の土地を恩賞で賜り渋谷5部族を名乗り、東京・神奈川の一部を納めていましたが、執権北条氏に変わってからは有力御家人の粛正が行われ6人兄弟の長男のみを関東に残し、後の5人を鹿児島へと下向させたとあります。6人兄弟の5男が戦国時代を最後まで生き残る入来院定心という初代殿様も家老として入部する事になる訳であります。種田家の家系図では渋谷5部族と同じ桓武天皇を祖とし、平氏を経て今の千葉市の元になる千葉常胤を祖にしてさらにその6男の千葉胤頼を祖にして東氏になり種田に行き着く訳ですが、最初、初代家老として入来院に下向したときが1248年で東氏が種田を名乗り始まる時期とは多少誤差がある事に気づきました。藤原鎌足から始まる相良氏稲留種田ルートは確かだが桓武天皇から始まるルートがつながら無いという暗唱に乗り上げたのでした。藤原ルートでも藤原為憲と言う人が桓武ルートの高望王の妹を妻にしていたり平氏ルートでも千葉常胤の妻が渋谷一族の祖から貰い受けたりとか昔の人は血筋という物を大事にしていたことが窺えます。現代では余り意識されなくなった家紋という物も非常に大事にされていたようです。伝説の爺さんは入来院の分家である寺尾の家系からおばあさんを嫁さんにして医者として北海道に渡る事となったのです。東氏ルートは今後の研究に期待。

pagetop

2017年12月4日16時35分45秒 マンション情報2017年年末特大号

マンション情報2017年末特大号 拝啓、師走となりあわただしい毎日をお過ごしのことと存じますが、皆様におかれましても健勝の事と存じます。ルーツ探しの旅もここ1ヶ月の間に佳境をを向かえ相当奥深い所まで行きました。それでもやはり限度という物がありますが、実は種田亀は亀松もしくは亀丸と称し父親は美濃三塚今宿城主種田助之丞正状の次男に当たると言う事です。ちなみに正状の妻は美濃の名族稲葉氏の人との事。正状の父、正隣は織田信長・信孝親子に仕え正状もその長男正義(亀丸の兄)も信長に仕え大阪陣の時、武功あり。とあるので亀丸が本能寺にいて小姓として信長を警護して討ち死にしたというのは自然の流れであり運命だったと考えられる。また正状の何代か前に種田次郎と称する人がいて種田を名乗る前は東氏と書いて(とうし)と名乗っていた様です。種田次郎と称する迄は東氏久と言う名前でした。実はこの東氏は古今和歌集の伝授の家として有名だったらしいのです。美濃東氏の2代目に行氏と言う人がいて二条流の歌人として知られその妹も歌才に恵まれ、藤原定家の子二条中納言為家は嵯峨小倉山荘で百首を書き写して与えたという。これが、小倉百人一首として世に伝えられたという。また十代目に常縁という人がいて足利八代将軍義政に使えたが、応仁の乱ので自身の居城である篠脇城が落城されたが城を奪った美濃守護代・斎藤妙椿は常縁の歌の友で、ともに足利義政の奉行人を勤めていて常縁は妙椿に領地返還の事を嘆願すると、妙椿は歌を歌ってくれたら城を返そうと返事した。そして、常縁は十首の心情を込めた和歌を妙椿に送った。 あるが内に 欺かるる世をしも 見ざりけん 人の昔の 猶も恋しき 常縁の歌に接した妙椿は、深くうたれて奪った城を返還したのであった。殺伐とした戦国時代では考えれない話だが、応仁の乱の当時はまだ古風な武士気質が残っていたのでしょう。とは言え、この挿話が美談として伝えられていることから、やはり珍しい出来事だったと言えそうだ。ネットにある。 文明12年(1480)、常縁は後土御門上皇の勅諚を拝して上洛。後土御門上皇に古今集伝授し、さらに京都東山において近衛政家・三条公敦・足利義尚らに古今伝授をした。ともある。 ちなみに常縁が妙椿に送った十首とは、 堀川や清き流れを隔てきて住みがたき世を嘆くばかり いかばかり嘆くとか知る心かなふみまよう道の末のやどりを かたばかり残さんこともいさかかる憂き身はなにと敷島の道 思いやる心の通う道ならでたよりも知らぬ古里の空 たよりなき身を秋風の音ながらさても恋しき古里の春 さらにまた頼むにしりぬうかりしは行末遠き契りなりけり 木の葉ちる秋の思いよあら玉の春に別るる色を見せなん 君をしもしるべと頼む道なくばなお故郷や隔てはてまし 三芳野になく雁がねといざさらばひたぶるに今君によりこん 吾世経んしるべと今も頼むかな美濃の小山の松の千歳を 読んだ妙椿の返歌は 言の葉に君が心はみづぐきの行く末とをらば跡はたがはし 文明元年(1469)四月、常縁は下総の留守を子の東縁数(よりかず)に命じて上洛し、翌月に妙椿と領地返還式を執り行った。 京の人々は喝采したとある。 まだまだ続きがあるのですが、次の号で発表したいと思います。 〒160−0023 東京都新宿区西新宿 7−1−7ダイカンプラザA館302号 株式会社GM不動産 代表取締役 種田 裕幸 TEL 03−5338−5955 FAX 03−5338−5956 是非一度、ご来社下さい。

pagetop

2017年1月17日17時5分15秒 リハビリと愉快な仲間たち

リハビリセンターを選択するに当たって区の中で紹介されたケアマネージャーからパンフレットを貰って場所と設備やヘルパーさんなどを総合的に判断して絞り込む訳ですが、私の場合会社と自宅両方にに近いところで3件に絞り込んで、実際の設備や環境を見て決めた訳ですが、結果的に一番良いところを選んだと自負してますし、満足もしています。最初はどこでもそうだと思いますが特に新人は好奇な目で見られます。従業員だけが最初から気さくで安心感があります。徐々に慣れていって一体感が生まれる訳ですが、そんな中で例のパーキンソン仲間の北大出の工場長は私の肩にに手をかけながら同郷のよしみから親しげに話しかけてくれ、誰にでも特に自分が新人の世話役的な役回りを自負してらっしゃるようにお見受けしました。新人にしてみれば心強いというか安心感は持てます。流石に工場長までなった人だけあって心遣いに感心させられます。驚いたのはわずか8.9人の中で北海道の出身者が私を含めて3人もいたことです。後からさらにもう一人出身者が増えることになりますが、一人が小樽もう一人が函館後からが釧路と郷里の話題は尽きません。私の田舎は北海道でも片田舎というイメージがあり、15歳で札幌の高校に進学したときでも何か出身地だけで好奇な目に遭った事を函館出身の少し意地悪な私は通称口悪ばあさんと内々では思ってるおばさんから羽幌さんと言われて久々に思い出しました。口悪ばあさんは何でもずけずけ遠慮無く言う性格だが高齢者おばあさん3人組の中では一目置かれた存在です。口が悪いのに反比例して体調はいつも悪そうです。工場長は口悪ばあさんには頭が上がらずいつも尻に敷かれた存在でいつも口悪ばあさんのご機嫌を伺ってる感じです。ずけずけパワーに圧倒されてたじたじといった雰囲気です。はたまた今は元とび職で都庁の建築に関わっていたときに13階からおっこちて2週間昏睡状態が続いたが結果的に助かったと言う爺さんもいたりしました。何でも高層ビルでも命綱は邪道でつけなかったそうです。新人が足場のねじの閉め忘れが原因で災難に遭ったようですが、バブル期は日当が10万円も貰って歌舞伎町のクラブとかを貸し切って豪遊したらしいです。労災で何千万もお金が下りてリハビリに通ってますが、お金を当てにして孫をよく遊ばせに来させられてお金がかかって困るとこぼしてました。それも年寄りの楽しみの一つなんでしょうけど、黙々と筋トレに励む姿からはさぞかし体が頑丈だったんだなと推測されます。10種類位のマシーンを1時間で3周もするくらい強靱な肉体です。だったら13階から落ちても2週間寝込んでも助かる訳だなと感心させられます。続く

pagetop

2017年1月16日13時31分34秒 リハビリについて

リハビリについてですが、私のように50代半ばでパーキンソン病を発病する例は珍しく、私の記憶する患者の例では、ブラックホールの研究で有名だったホーキング博士やボクシングのヘビー級の伝説のボクサーだったモハメドアリやハリウッド映画のバックトウザフィーチャーの俳優や日本では加藤茶や俳優の安岡力也等記憶してましたがまさか自分がと言う気持ちでした。同じリハビリの仲間は私以外二人いますが、一人は77歳で北大出身で大手製菓メーカーの工場長までやっていた人で、もう一人は一橋大学を出て旅行代理店の社長をしていた人で70歳でした。どこからかパーキンソン病は頭のいい人がかかる病気だと聞いて少しほっとしたというか少しは病人のくせに鼻が高い気持ちになりました。確かに文筆家や頭を酷使する職業やそういった性格の人が発症する傾向にあるようです。私の通っているリハビリセンターには周2回を目標に行ってますが、大半が70代80代の高齢者です。中には90近いおばあちゃんが3人くらいいます、もう何時お迎えがきても思い残すことは無いとか冗談で言ってますが、90歳位になるとそういった心境になるのか思うと感心させられます。それだけ頑張って生きてきたと言う事なのでしょう。参考になります。次はリハビリの環境の話をしてみたいと思います。

pagetop

2017年1月14日13時36分28秒 パーキンソン病の症状とは

パーキンソン病の症状とは、ヘレンケラーの三重苦程ではないが、7,8重苦位の症状があります。ドーパミンの薬を取り忘れたりするとまるで手術後モルヒネの麻酔が切れたときの禁断症状がでます。私自身麻酔を使った手術を3回経験してますので、麻薬の切れたときの症状が体中の血液の中にまるでウジ虫が駆け巡るような痺れというか、はたまた別の表現で例えるならば30分くらい正座した後に脚が痺れる感覚が体中を駆け巡るような痺れが出ます。この痛みというか感覚はパーキンソン病の独特の物なんだと思います。パーキンソン病患者は日本に10万人いると言われ各製薬会社もこのドル箱とも言える市場を獲得すべく躍起ななって競争してるようです。患者としては有難い話で、一刻も早く完治する薬が発明されないかと期待してます。また他の症状としては、80%位の方に便秘の兆候が現れるそうです。また手足の硬直から来る筋の痛みにも定期的に襲われます。薬を飲み始めてからは無くなりましたが、体全体からの発刊もピークの時はありました。また最新の貼り薬で皮膚からパッチを貼って脳までと届くという物ですが、貼った後のかぶれやかゆみに悩ませれます。次回はリハビリの環境について触れたいと思います。

pagetop

1 2 3 

過去の日記はこちら