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西新宿不動産会社社長の不動産日誌

2008年7月17日15時27分33秒 2008年マンション情報復活号を出すにあたり

2008年マンション情報復活号を出すにあたり、 最近の顧客動向はといいますと、
 皆さんもどういう人が最近購入なさっているか気にかかるところだと思いますのでお話させていただきたいと思います。
 当社の従来のお客様はといいますとサラリーマン時代から10年来お付き合いさせていただいている50代60代70代のお客様で現金で購入される方が多かったのですが、
 最近は中国人の共稼ぎの主婦の方や韓国人投資家の方もいらっしゃいました。10年前は考えられなかったことですが、
 またごく最近ですと50過ぎの独身の男性で初めての投資物件の購入とのことでしたが、30年間理容室に勤務されている方で老後のことを考えて横須賀のほうへ200万円台のワンルームマンションを現金で購入なさいましたが、初めてということで外観だけでも見てみたいということで半日かけてご案内させていただきましたが、たまたま天気もよくちょとした日帰りの小旅行といった感じでした海も近かったのでリタイヤしたら自分ですんでもいいかなとおっしゃってました。
 賃借人の方は、自衛隊の後方支援のあたごの乗組員で10年もこのマンションにすんでいます。家賃滞納もなく賃貸管理も入ってましたので優良客と言えるでしょう。一度出航すると半年から一年くらい帰らないそうですが、横須賀方面では海上自衛隊の方は聞くところによると優良客だそうです。何年かしたらもうひとつ二つ購入したいとおっしゃってました。
 またローンで購入された方で会社が北米に進出している大手自動車メーカーのゴムの部品を扱う会社に勤務する方で50位の方で最近2〜3月ほどアメリカに単身で出張されておりましたが、今度は、転勤で5年位になるということで老後を見据えて5件目の物件をローンで購入されましたが、都内で1000万円弱の物件で自己資金50万円と諸費用60万円は現金でしたが、それ以外はローンですが、それでも毎月は3万円程度黒字でした。他にも節税と生命保険代わりという目的もあるようでした。
 また30代の共稼ぎの夫婦で500万円弱の物件を自己資金100万円でローン購入されたケースもあります。また30半ばの独身男性で300万円位の物件を現金で購入されたケースもあり、キーワードはみな老後を見据えてのことのようです。不況なのに物価は上昇するわで自己防衛を考えないと生き残れない時代に突入しているのです。現代は、

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2008年4月22日18時59分23秒 結局の所我が先祖のルーツは
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結局の所我が先祖のルーツは、
   昭和五年三月二十日、鹿児島県入来村村役場内入来村史編纂会発行の入来村史によれば、先は肥後國求痲の城主相良氏の庶流なり。とある。
 大職冠藤原鎌足十五代の孫下野顯周頼、遠州相良荘を領して相良を氏とす。
 七代の後胤、相良三郎長頼の六男、稲留五郎頼貞三代の孫、稲留彦右衛門尉即ち長經なり。
入来院定心就封の時、長經を以って家老となす。
これより入来院家の家臣となる長径種田の宇都邑を領す、依りて種田を氏とす。
 抑も種田氏は先代長經より代々入来院家の家老として、領主家に忠節浅からざりしと云う。
 とあり二十九代にわたって家老職を務めてきたことが代々の殿様の名前と共に代々の家老職の名前も書かれていました。
   島津家が三十代続いたことを考えるとほぼ同じ年代続いていたことになります。
 また隈之城を守った人もいれば、征韓の役に功があった人や、島原の役に従軍した人、朝鮮役に従て戦死した人、いろいろな戦いで戦死した人も多数いることを考えれば、祖祖父も戦役でなくなって、祖祖母も苦労したことも伺えます。
 最終的に伝説の爺さんは、入来院の庶流の寺尾家からお姫様をもらって鹿児島から北海道へ医者として渡るのであった。
じゃあ、私にも多少は殿様の血が混じっていることか?とか冗談で考えながら、先祖がどうであれ、この西新宿でがんばらなきゃなと思う私でありました。

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2008年3月15日 入来院氏とは
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入来院氏とは
、桓武天皇の後胤であり、鎌倉幕府に仕えた名門渋谷五氏のうちの一つであったが、後世入来院の地頭に任じられたため入来院と称した。
とある。
鎌倉時代1247年に相模国の渋谷光重が三浦・千葉両氏討伐の戦功によって、千葉氏の旧領北薩の地頭職を獲得し、光重は六子中の二男以下を薩摩に下向させましたが、それは年齢順に実重を東郷に重保を祁答院に重諸を鶴田に定心を入来院に重貞を高城に各地頭として入部させました。
この渋谷一族は川薩地方全域を領有することになり長く威勢を振るったので、世にこれを渋谷5宗と呼びました。
また入来院氏は、三代公重時代に元寇の国難があり、弟有重以下入来の将兵80余人が戦死し、戦後第一級戦功賞12町歩余の土地を今の福岡市内に支給されました。建武中興から南北朝時代には幾度か綸旨を拝戴し、また守護島津氏とは戦国時代まで協力、あるいは敵対したりの硬軟巧みな外交手腕を発揮し、中央幕府からも重視されました。
入来院氏の最高潮時代は十一代重聰・一二代重朝父子時代(1490〜1560)で阿久根から姶良町に至る広大領主大名として自任した時代でした。
しかし1569年末に島津氏の軍門にくだってからはその一武将となり、近世は入来郷(現薩摩川内市入来町)の私領主として、明治維新にいたりました。
維新時は天領長崎の摂収で功をたて、明治2年8月領地を返上し、中近世を通じて620余年、同一領主によって治められた特異な入来にも新時代の曙光が訪れました。
と資料にありました。
また前出の渋谷5宗の内、東郷家は、示現流の宗家でもあり初代東郷肥前守重位は典型的な文武両道の人であった。剣術ばかりでなく精神文化の面においても、薩摩藩士達与えた影響は計り知れない。もうひとつの自顕流とともに江戸期を通じて薩摩藩士の精神と剣術に磨きをかけてきたのである。そして明治維新という武家社会の終焉に際して、日本の侍の華を最後に咲かせたのが、薩摩の二つのジゲン流だったのである。

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2008年3月14日 レンタカーで入来へ
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まずは、
川内駅から知る人ぞ知る入来温泉を目指して田舎道を右に左にへと1時間10分程で入来温泉へと到着しました。
温泉郷というか、何件かある辺りが入来温泉ということでした。
大人100円で入泉出来ました。
たまたま隣に入浴していた爺さんに話しかけたところ川内から来たとのでした。
湯船は2つあり最初入った湯船もかなり熱かったのですが、次の湯船に足を入れようとした瞬間その爺さんが大声で熱いよ。叫びましたが、間に合わず相当熱い思いをしました。長時間は到底入れない暑さでした。慣れてる人でも相当きついようです。
次に何人か地元の人に聞いたところ、どうもご先祖様のルーツは入来の武家屋敷群あたりにあることがわかり、入来町役場まで行くことにする。
思えば、今回の旅のきっかけは、今は亡き親戚の叔父さんで亡き父の末っ子の幸記さんから横浜の戸塚区の家の売却を頼まれたときに叔父さんの家にあった入来村史という昭和5年発行の本の存在を教えていただいたのが、そもそものきっかけでした。
もう5年くらいは経つようにおもいますが、漢文のような字で書かれていた為、最初は意味がわからず、あまり読まなかったなですが、時たま目を通すようになって分かったのは、入来院という殿様に代々家老として使えた家系だということがわかり、今回のルーツ探しの旅となるのでした。
このあたりに清色城というお城があり、その東側まさにさっきまでたっていた入来町役場がわがご先祖様の屋敷跡だったわけである。次に、わが代々のご先祖様の殿様の入来院氏について調べてみたいと思います。
実は、入来町役場のすぐ隣に郷土資料館という記念館があり、清色亀鑑という入来院家と、その家臣諸家に伝承されてきた古文書で入来院氏について伺い知ることができます。またここには、殿様が狩りに出かけたときの衣装や甲冑・刀などが展示してあります。また第28代島津斉彬公の娘が入来院家へお興し入れの際持参された長持なども展示されておりました。このとき4〜5人いた妃候補の一人に上がっていたのが、NHKでも今話題の篤姫だったらしいのです。このことは郷土資料館の館長から聞きました。

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2008年3月13日 川内市から入来町へ
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翌日、3月9日(日)
朝10;00過ぎ、ホテルをチェクアウトし、レンタカーの手配をし、
つたやで川内市の航空地図を購入し、
前日に下見をしてあった駅の隣のお土産やで蔵の神という川内特産の何かの品評会で金賞をとったらしくラベルがついてあったので気になっていた焼酎を購入した。実は昨日のスナックで試飲して、味に旨味があり非常にまろやかだったので、お土産にしようと決めていたのでした。
写真は万葉集を編纂した三十六歌仙の一人で、764年薩摩守に任命されたことを記念して建てられた大伴家持の像だそうで、駅前にありました。
また家持の父親が薩摩隼人征伐に成功したそうです。また川内市は豊臣政権が全国制覇をもくろんでいたころ、九州ではまだ大友家と島津家が争っていました。
なかなか恭順しない島津に対して、25万の兵で秀吉が出陣。各地で抵抗するも、さすがの島津も敵の大群には勝てず、ここ薩摩川内市の泰平寺で和睦をしたというエピソードがあるらしいのです。

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