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西新宿不動産会社社長の不動産日誌

2008年3月14日 レンタカーで入来へ
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まずは、
川内駅から知る人ぞ知る入来温泉を目指して田舎道を右に左にへと1時間10分程で入来温泉へと到着しました。
温泉郷というか、何件かある辺りが入来温泉ということでした。
大人100円で入泉出来ました。
たまたま隣に入浴していた爺さんに話しかけたところ川内から来たとのでした。
湯船は2つあり最初入った湯船もかなり熱かったのですが、次の湯船に足を入れようとした瞬間その爺さんが大声で熱いよ。叫びましたが、間に合わず相当熱い思いをしました。長時間は到底入れない暑さでした。慣れてる人でも相当きついようです。
次に何人か地元の人に聞いたところ、どうもご先祖様のルーツは入来の武家屋敷群あたりにあることがわかり、入来町役場まで行くことにする。
思えば、今回の旅のきっかけは、今は亡き親戚の叔父さんで亡き父の末っ子の幸記さんから横浜の戸塚区の家の売却を頼まれたときに叔父さんの家にあった入来村史という昭和5年発行の本の存在を教えていただいたのが、そもそものきっかけでした。
もう5年くらいは経つようにおもいますが、漢文のような字で書かれていた為、最初は意味がわからず、あまり読まなかったなですが、時たま目を通すようになって分かったのは、入来院という殿様に代々家老として使えた家系だということがわかり、今回のルーツ探しの旅となるのでした。
このあたりに清色城というお城があり、その東側まさにさっきまでたっていた入来町役場がわがご先祖様の屋敷跡だったわけである。次に、わが代々のご先祖様の殿様の入来院氏について調べてみたいと思います。
実は、入来町役場のすぐ隣に郷土資料館という記念館があり、清色亀鑑という入来院家と、その家臣諸家に伝承されてきた古文書で入来院氏について伺い知ることができます。またここには、殿様が狩りに出かけたときの衣装や甲冑・刀などが展示してあります。また第28代島津斉彬公の娘が入来院家へお興し入れの際持参された長持なども展示されておりました。このとき4〜5人いた妃候補の一人に上がっていたのが、NHKでも今話題の篤姫だったらしいのです。このことは郷土資料館の館長から聞きました。

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2008年3月13日 川内市から入来町へ
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翌日、3月9日(日)
朝10;00過ぎ、ホテルをチェクアウトし、レンタカーの手配をし、
つたやで川内市の航空地図を購入し、
前日に下見をしてあった駅の隣のお土産やで蔵の神という川内特産の何かの品評会で金賞をとったらしくラベルがついてあったので気になっていた焼酎を購入した。実は昨日のスナックで試飲して、味に旨味があり非常にまろやかだったので、お土産にしようと決めていたのでした。
写真は万葉集を編纂した三十六歌仙の一人で、764年薩摩守に任命されたことを記念して建てられた大伴家持の像だそうで、駅前にありました。
また家持の父親が薩摩隼人征伐に成功したそうです。また川内市は豊臣政権が全国制覇をもくろんでいたころ、九州ではまだ大友家と島津家が争っていました。
なかなか恭順しない島津に対して、25万の兵で秀吉が出陣。各地で抵抗するも、さすがの島津も敵の大群には勝てず、ここ薩摩川内市の泰平寺で和睦をしたというエピソードがあるらしいのです。

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2008年3月12日 博多から鹿児島へ
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博多で決済を終えた私は、
その日の夕方の飛行機で鹿児島へと向かうのですが、
JALの子会社の飛行機だったかと思いますが、36人乗りのプロペラ機でたてが11列横が通路を挟んで3列で飛行機の振動と外の風のあおりをもろに受ける気がして離陸時と2〜3回ほどゆれたときは手に冷や汗が出てきました。
 一時間半ほどで鹿児島空港へ着き、バスで川内駅とむかうのですが、途中の風景は千歳空港からバスで札幌駅へむかうのとあまり変わらず、田舎の風景が続きます。北海道のダイナミックな風景を少し縮小した感じです。
1時間10分程で川内(せんだい)駅へ着き、駅ビルの土産やをのぞきビジネスホテルへとむかいます。
10分ほどでビジネスホテルへ着き、
ホテルの親父さんから地元のおいしいと評判の料理店へと入り、本日のお勧めの黒豚を頼もうとしたが、メニューを見るとおやじセットのほうが、お得だと気づき変更しました。小ビールがついて1600円のセットで鳥の刺身とか牡蠣フライ・茶碗蒸しなどもついて確かにお得に感じました。
その後、帰りにビジネスホテルのカラオケスナックで地元のことを聞き出そうとして入店するわけですが、
川内市に入ってから何人かの人とお話をさせていただきましたが、素朴というか誠実な印象を受けました。私は、20代中位まで生活の基盤が北海道でしたので、ちょっと人種が違う様に感じました。
やはり歴史が違うなあという感じです。九州に着てからスチワーデスさんやスナックの人たちもそうでしたが、割とすらっと細身で、目がきりっとした方が多いように思いました。
後日、東京に帰ってから顧客である某大学の教授に聞いたところ、あちらは大陸からの移住者が多いからなあとおっしゃってました。

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2008年3月11日 伝説の爺さんを探しに、鹿児島まで行って参りました。
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3月8日(土)午後、
博多で東京の物件の決済があり、夕方から鹿児島へ飛びかねてから気になっていたご先祖さまのルーツを探る旅へと向かいました。
私の小学校の5〜6生の時の担任から、うちの祖父さんのことで授業中、種田のところの祖父さんは鹿児島から北海道へ医者として渡ったらしいが、自転車もあまり普及していない時代に、日本でも3台しか入ってないドイツ製のバイク(後日、親父の兄に当たる長男に確認したところ、ハーレーダビットソンであったらしいが)で私の郷里である北海道の北西の海岸沿いにある古くは炭鉱町でもあった羽幌という町から10キロほど南の苫前という町から南へ向けて出発したが、止め方がわからずに50キロ離れた留萌の先まで行ってガソリンがなくなってやっと止まったんだってよ!!
なんて満面笑みのうれしそうな顔でしゃべっていたのを今でも鮮明に憶えています。
担任も漁師町であり祖父さんの赴任先の苫前で生まれ育ってましたので何かと情報が入って来てたんだと思います。父親からも生前、父親がまだ幼少のころ何かの用事で祖父さんに港町にくっいて行ったときに、気の荒い漁師たちと争いになり、漁師たちも銛を持って祖父さんにかかっていったらしいが、祖父さんはそれを楽しむかの様ににやにやしながら、ばたばたと漁師たちを投げ飛ばしてた。また力が底なしにある人だった。
という話を聞いてましたので、私が生まれる前に亡くなってましたが、私も幼少のころから祖父さんに対しては畏敬の念を抱いておりました。
そんな祖父さんですが、幼少のころに祖祖父を亡くし、祖祖母に男兄弟二人を育てられ、今の長崎大学医学部(旧名称長崎医専)を卒業後、弟が東大に在学中、弟の学費を稼ぐために、北海道のほうが、本州よりも給料が4倍くらい高いという事で先の苫前に出向いたということでした。
弟は弟で後に小樽で弁護士として開業したとのことでしたが、私の両親が結婚してまもなく挨拶に行ったときに、部屋に金時計があったそうです。昔、東京大学では学部ごとの成績の優秀者(トップ)のみに金時計を贈っていたそうです。時計は私の母親が見たと言ってました。これは、私も後に黒柳徹子の部屋で東大出身のゲストが金時計の話をしていたときに本当にそうなんだと思いました。そんな祖父さんとその弟の話を聞き、幼少のころから畏敬の念と驚きの気持ちを持っておりました。そんなことが今回の旅へとつながるのです。

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