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西新宿不動産会社社長の不動産日誌

2008年3月12日 博多から鹿児島へ
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博多で決済を終えた私は、
その日の夕方の飛行機で鹿児島へと向かうのですが、
JALの子会社の飛行機だったかと思いますが、36人乗りのプロペラ機でたてが11列横が通路を挟んで3列で飛行機の振動と外の風のあおりをもろに受ける気がして離陸時と2〜3回ほどゆれたときは手に冷や汗が出てきました。
 一時間半ほどで鹿児島空港へ着き、バスで川内駅とむかうのですが、途中の風景は千歳空港からバスで札幌駅へむかうのとあまり変わらず、田舎の風景が続きます。北海道のダイナミックな風景を少し縮小した感じです。
1時間10分程で川内(せんだい)駅へ着き、駅ビルの土産やをのぞきビジネスホテルへとむかいます。
10分ほどでビジネスホテルへ着き、
ホテルの親父さんから地元のおいしいと評判の料理店へと入り、本日のお勧めの黒豚を頼もうとしたが、メニューを見るとおやじセットのほうが、お得だと気づき変更しました。小ビールがついて1600円のセットで鳥の刺身とか牡蠣フライ・茶碗蒸しなどもついて確かにお得に感じました。
その後、帰りにビジネスホテルのカラオケスナックで地元のことを聞き出そうとして入店するわけですが、
川内市に入ってから何人かの人とお話をさせていただきましたが、素朴というか誠実な印象を受けました。私は、20代中位まで生活の基盤が北海道でしたので、ちょっと人種が違う様に感じました。
やはり歴史が違うなあという感じです。九州に着てからスチワーデスさんやスナックの人たちもそうでしたが、割とすらっと細身で、目がきりっとした方が多いように思いました。
後日、東京に帰ってから顧客である某大学の教授に聞いたところ、あちらは大陸からの移住者が多いからなあとおっしゃってました。

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2008年3月11日 伝説の爺さんを探しに、鹿児島まで行って参りました。
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3月8日(土)午後、
博多で東京の物件の決済があり、夕方から鹿児島へ飛びかねてから気になっていたご先祖さまのルーツを探る旅へと向かいました。
私の小学校の5〜6生の時の担任から、うちの祖父さんのことで授業中、種田のところの祖父さんは鹿児島から北海道へ医者として渡ったらしいが、自転車もあまり普及していない時代に、日本でも3台しか入ってないドイツ製のバイク(後日、親父の兄に当たる長男に確認したところ、ハーレーダビットソンであったらしいが)で私の郷里である北海道の北西の海岸沿いにある古くは炭鉱町でもあった羽幌という町から10キロほど南の苫前という町から南へ向けて出発したが、止め方がわからずに50キロ離れた留萌の先まで行ってガソリンがなくなってやっと止まったんだってよ!!
なんて満面笑みのうれしそうな顔でしゃべっていたのを今でも鮮明に憶えています。
担任も漁師町であり祖父さんの赴任先の苫前で生まれ育ってましたので何かと情報が入って来てたんだと思います。父親からも生前、父親がまだ幼少のころ何かの用事で祖父さんに港町にくっいて行ったときに、気の荒い漁師たちと争いになり、漁師たちも銛を持って祖父さんにかかっていったらしいが、祖父さんはそれを楽しむかの様ににやにやしながら、ばたばたと漁師たちを投げ飛ばしてた。また力が底なしにある人だった。
という話を聞いてましたので、私が生まれる前に亡くなってましたが、私も幼少のころから祖父さんに対しては畏敬の念を抱いておりました。
そんな祖父さんですが、幼少のころに祖祖父を亡くし、祖祖母に男兄弟二人を育てられ、今の長崎大学医学部(旧名称長崎医専)を卒業後、弟が東大に在学中、弟の学費を稼ぐために、北海道のほうが、本州よりも給料が4倍くらい高いという事で先の苫前に出向いたということでした。
弟は弟で後に小樽で弁護士として開業したとのことでしたが、私の両親が結婚してまもなく挨拶に行ったときに、部屋に金時計があったそうです。昔、東京大学では学部ごとの成績の優秀者(トップ)のみに金時計を贈っていたそうです。時計は私の母親が見たと言ってました。これは、私も後に黒柳徹子の部屋で東大出身のゲストが金時計の話をしていたときに本当にそうなんだと思いました。そんな祖父さんとその弟の話を聞き、幼少のころから畏敬の念と驚きの気持ちを持っておりました。そんなことが今回の旅へとつながるのです。

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